風に向かって / 平和に向って…
東京都立川市曙町2-4 JR立川駅北口ペデストリアンデッキほか

わたしが子どもの頃に住んでいた家は、ジューキミシンの工場のすぐそばだった。当時は「東京重機工業」(1988年からJUKI)と言っていた有名ミシンメーカーが、元々は九二式重機関銃など軍用の銃器を製造する会社として始まったことを知ったのは、ずいぶんと後になってのことだった。

多摩モノレール立飛駅の由来になったタチヒグループの元は、軍用機を製造する「立川飛行機」だ。JUKIと同じように名前を変えることによって負の歴史があいまいになる例はほかにもある。
今は昭和記念公園などになっている立川駅北側エリアは、大正11年(1922)に開設された立川陸軍飛行場の跡だ。戦後は米軍基地となって朝鮮戦争やベトナム戦争の後方支援基地として使用されていた。周辺には多くの軍需産業が立地し労働者や軍人を相手にする歓楽街で賑わった。米軍基地時代には米兵による事件も多かった。
立川駅前に立つ模型飛行機を捧げ持つ少年の像「風に向かって」には、羽田空港が開港するまでの一時期、立川基地に民間機が発着していた時代を振り返って「空の都」という言葉が使われているが、当時の立川には「軍都」と言う名がふさわしいとわたしは思う。戦後80年が過ぎ、基地返還(1977)からも来年で50年になる今、意識するか否かに関わらず戦争の記憶は日増しに薄まっているように思う。
戦争の何たるかもよく考えず、戦闘機や戦車の模型作りに夢中になっていた子ども時代の自分を見るようで、少し胸が痛くなった。
(キャプション) 風に向かって | 平和に向って飛びたつ少女を愛をもってみまもろう
