新聞少年の像
東京都港区南麻布5-7-29 有栖川宮記念公園

戦時中から戦後の一時期にかけて、戦争による労働力の不足を補い困窮する家庭や子どもたちを援助するために、本来は就労が認められない小中学生を含む青少年たちが新聞配達員として雇用機会を与えられ活躍していた時代があった。

まだメディアの中心に新聞があった時代で、朝夕一日も休まず新聞を配り続けた彼らの姿は歌(※)にもなり、日本中で歌われるほどだった。
その後、人々の暮らしが徐々に豊かになっていくにつれて新聞少年は減っていく。今は外国人労働者が増えているそうだ。
人々はニュースをラジオやテレビで知るようになり、ネットに情報があふれる今ではそのTV・ラジオからも離れていく。日本新聞協会の発表によると、新聞の発行部数は1997年をピークに減り続け、今はその半分をも割っている。今後は新聞配達という仕事自体が、無くなっていくかもしれない。
わたしは高校時代山岳部に所属していたので、装備費用と山行の旅費を稼ぐために牛乳配達のアルバイトをしていたことがある。朝早く雨の日も雪の日も休まず働いたなんて、今の怠惰な自分にはウソのように思える。わたしは遊びのためだったが、新聞少年の多くは生活のために働いていた。その真剣な表情がまぶしい。
※ 「新聞少年」 作詞:八反ふじを、作曲:島津伸男、歌:山田太郎(1965)
